5月6日の新着情報で紹介されたアンカーのカタログをこのところ毎日見ている。理由はアンカーの取扱いを玉名店でもできるようにするためである。これまでもアンカースポーツの方は全店で取扱いしていた。ところがアンカーは浄行寺店のみの取扱いだった。玉名店に来られるお客さんの中にもアンカーを指定される方も多い。理由は二つ、一つにはブリヂストンという国産ブランドの品質からくる安心感、それに海外ブランドと違う納期である。今や風前の灯といった国内スポーツ市場であるが、唯一、アンカーだけは頑張っている。 |
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いつの頃からか、市場は海外ブランドに移行していく。時代は1980年代後半、マウンテンバイクの初期にはアラヤ、ニシキ、ミヤタなど数々のメーカーから名車が生まれ、本国のアメリカにも輸出していた。この頃からスペシャライズドやキャノンデールといったブランドが徐々に日本にも進出してくる。それ以降、90年代になると円高等の為替相場の変動をはじめ、様々な経済環境もあって日本のブランドが急激に落ち込んでいくことになる。 |
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この落ち込んでいく頃に発足したのがアンカーブランドである。それ以前にもブリヂストンにはテーラーメイドと呼ばれるオーダーシステムがあった。ただ、これはその頃に圧倒的な人気を博していたパナソニック・オーダー・システム(POS)の後追いにすぎなかった。販売台数日本一のブリヂストンもスポーツ車に関してはナンバーワンに長い間、なかなかなれなかった。これは同社の苦悩でもあった。60年代には高級スポーツ車シリーズとして、ダイヤモンドシリーズがあった。戦後の日本のスポーツ車の形態を作り上げた鳥山研究所の鳥山氏が関わっている。おかげでツーリング車についてはある程度の分野は開拓できた。 |
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そこで車種形態を見直してできたものがユーラシアやアトランティスといった車種構成である。名前でも分かる通り、大陸名を付けることによりツーリング車を意識したものになっている。ロードレーサーもあるにはあったが販売台数は少なかった。当時の雑誌を見てもブリヂストンがユーラシアのツーリング車を広告に載せているのに対して、ミヤタやいくつかのメーカーはロードレーサーを中心とした競技車を乗せている。さすがにブリヂストンもこれではシェアを取れないと思ったのか競技色の強いブランドを立ち上げる。 |
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そこで登場してくるのがグランベロである。後々、一般スポーツ車にも使われるこのブランド、当初はカンパニョロ・レコードを搭載したフラッグシップモデルを強調していた。ただ、品質は良かったものの、フレームスケルトンをはじめ、端正にできていて割とおとなしい印象だった。ロードレーサーにはある意味、荒々しいスパルタンな印象が必要になる。また、シマノのジュラエースと同じようにブリヂストンの名は表に出さない戦略もとっていた。 |
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その後、マウンテンバイクブームが起こり、先に書いたような状況になっていくのだが、他のメーカーがだんだんスポーツ車から撤退を余儀なくされる中、頑張っていたのがブリヂストンである。きっかけは今も残るネオコットパイプである。これはクロモリパイプのなかでは、ある意味、画期的なものだったと思う。それまではダブルバテットやトリプルバテットの外観を変えないものだったのが、応力に合わせて外観も変化させた。実際、乗っている連中に聞くと満足げに話していた。 |
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アンカーはブリヂストンという会社名は表には出さず、競技に関わっていた人達を中心に生まれた。元選手であればユーザーの感覚的な意見も分かる。それまでいい選手を輩出してきてはいたのだが、参考意見としかとらえられなかったことが多かった。そういう事では貴重な人材を活用した部門だと思う。ビアンキのレパルトコルサに共通したものである。いずれにしても、国内のブランドの持つ安心感がある。特にしばらく自転車から遠ざかっていた人達には今の海外ブランド、戸惑う事が多い。その点でも安心して薦めることができる。 |