カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第79回

清ちゃんのコレクション(その11)クレーン



 シマノのジュラエース(今はデュラエースの表記になっている)の名は知っていても、クレーンというディレーラーを知っているサイクリストも少なくなってきた。実はこのディレーラーこそがジュラエースの前身なのである。いや、前身と言うより、これが初期ジュラエースだと言った方がいいかもしれない。



 かってシマノは安物イメージがつきまとう会社であった。今では信じられないかもしれないが、主な製品は内装3段変速機や鉄板プレス製の変速機等であった。この辺のカタログも持っているが、どこにあるか分からない。見つけ出したらすぐに紹介したいと思う。


シマノ社80年史
 アメリカで1960年代終わりに始まったバイコロジー運動(自転車による健康志向ブーム:バイシクルとエコロジーを組み合わせた造語)によって、日本の自転車業界はかなり潤った。10スピードと呼ばれる後5段、前2段変速のシンプルなスポーティ車が爆発的な売れ行きをみせた。わりとワイドレシオのギヤ比の変速機がついていた。カンパのグランツーリスモもこのアメリカ市場に向けて投入されたものだった。



 シマノも当然のことながらこのブームに乗った。そこでマーケッティングの重要さを知り、会社の将来性を考えての方向づけを模索した(と思う)。フリーと変速機だけ作っていたのでは限度がある、サンツアーではスギノや吉貝とグループを作っている。全製品、自社で作ることにした。そのため、数社を吸収した。そして、チェンホイルやブレーキといった製品を作り始めた。



 先ずは変速機である。これまでの鉄製のものではなく、アルミを使った、カンパやサンツアーに負けないものをという事でかなり力を入れたものだった。それがクレーンである。スラントパンタと呼ばれる斜め移動の機構はパテント問題で使えない。フリーの歯に少しでもガイドプーリーを近づけるために重量は少し増すが、サンプレと同じように首振りのためのスプリングを付けた。そんな意味では会社の方向性を決めるための気合いの入った製品だと言えると思う。



 この頃、同時進行で会社のイメージアップのためのプロモーションもたくさんやっている。333というそれまでのシンボルマークから新しいマーク、書体のSHIMANOに変わっていった。コーポレートアイデンティを導入、更にそれを広めるための雑誌広告やTV番組「素晴らしき自転車野郎」等、マスメディアにも力を入れていた。パッケージにも金をかけていた。隠れた部分ではパテント管理等、他社製品に対しての防御等にも力を注いでいたし、本場ヨーロッパに乗り込んでいこうとする計画も進んでいた。



 本場に乗り込むために一番必要なのはオリジナリティという事も経営者は理解していた。最初のジュラエースが出たときにも、カンパが42Tしか付けられないチェンホィルだったのに対し、39Tまで付ける事のできるチェンホィルを出したし、ダイヤコンペがカンパそっくりさんだったのに対し、タイヤガイドを線材にして見た目でカンパとは違うぞというブレーキを作った、その後、EXやAXにもその精神は受け継がれていき、今に至っている。


シマノ社80年史より
 その最初に出したジュラエースのコンポーネントにただ一つ、ジュラエースの名の付かないものがあった。それが今回のクレーンである。コレクションの中に3つのクレーンがあるが、すべてアウター受けにはワイヤー張りのアジャスターが付いている。ジュラエースではなく、単体のクレーンのカタログにはこれがなく、変速機本体で直接アウターケーブルを受けているものが載っている。昔、いくら捜してもこの変速機は見つからなかった。単に写真撮影用のモデルだったのか、実際に生産されたものだったのかは定かではない。もし、ここら辺の事情を知っている、または持っているという方がおられるのであれば教えてほしいと思っている。

第80回へ続く...

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