カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第80回

清ちゃんのコレクション(その12)シュパーブ



 前回、ジュラエース(クレーン)を紹介した。読んでおられた方から、アジャスターボルトのないモデルも実在したというお便りを頂いた。超初期のモデルも生産はされたらしい。今、持っていればレアものである。さて、ジュラエースの次はシュパーブである。これも初期のディレーラーセットである。フロントディレーラーの羽がアルミでできている。すぐにマイナーチェンジがあり、鉄に変更になったため、このモデルは短期なものとなった。













 今、サンツアーと言っても、若い人たちにはなじみがないと思われる。ジュラエースができるまでは国内ナンバーワンのスポーツ専用ディレーラーのメーカーだった。今ではカンパやシマノも採用しているスラントパンタ機構もサンツアーのパテントだった。このサンツアーがカンパやシマノ同様に高級グループコンポとして、初めて出したのがシューパーブである。その後、何度かのマイナーチェンジやモデルチェンジを繰り返してシュパーブプロとなっていく。



 カンパやシマノのグループコンポとの違いは自社製造でなかった事である。チェンホィルはスギノ、ハブはサンシンというように、専門メーカーが一つのコンセプトのもとに製造したものだった。実際、完成車メーカーではそれ以前から、ディレーラーにサンツアーを使う場合、チェンホィルはスギノ、ハブはサンシン、ペダルは三ヶ島といった具合に使っていた。後々、これが一つの障害になっていく。





 サンツアーが消えて久しい。消えた要因にはいくつかある。販売や設備、経営と数えあげたらきりがない。雑誌等でサンツアーVSシマノ等の特集で両社の製品比較された記事もよく見られた。このため一般の人たちにはサンツアーとシマノは同じくらいの規模の会社だと思われていた。ところが売上金額や資本金だけみても全く比較にならないくらいの会社だった。



 きっかけはMTBが流行始めた頃、この市場に最初に目をつけたのはサンツアーだった。ところがこのマーケットが商売になると思ったシマノは攻勢をかけてきた。これに対抗しようとシマノのラインナップに並ぶものをと頑張ってみたのだが、所詮、規模の違う会社、同じ土俵に立つためには資金力や生産設備の問題があった。この他の市場でも同じ様な事が起こる。ただ、個人経営の八百屋とスーパーマーケットでは同じ土俵では戦いにはならなかった。今、考えるとカンパのようにロードグループコンポだけに絞って会社を存続させていく方法もあったと思える。



 サンツアーには優秀な社員も多数いた。今でもサンツアーはSRサンツアーと名を変えて台湾や中国に工場を持ち、存続している。欧米輸出が主で、その製品はなかなか日本には入ってこないが、売上は好調に推移している。そして、未だ残党もいる。彼らの頭の中にはシュパーブの名が生きている。実際、その製品の中でマグネシウム製のクランクがあり、シュパーブの名を冠している。ただ、その他のパーツはまだである。いつの日かグループコンポとして復活してくる日がくるかもしれない。

第81回へ続く...

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