カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第274回

清ちゃんのコレクション(その46)アウターバンド



 年賀状の中で東京のSさんからのものがあった。「イタリアンBBありがとう。でも未だアウターバンドがなく組み上がっていません」と書いてあった。自転車が、1970年代にイタリアに行き、現地で購入のビアンキということは知っていた。昨年の秋、そのビアンキを復元したいという事でメールをもらった。部品がいくつか不足していて、カンパの旧レコードのイタリアンサイズBBを持っていないか?ということだった。幸い、いくつか持っていたのでサイクルモードで上京する時に持参して渡した。



 年明け早々、カンパのアウターバンドを探してみるが、なかなか見つからない。どこかに大量にまとめて入れていたのだが、どこにいったのか分からない。その内に少量ではあるが、ワイヤーリードやアウターストッパーと一緒に使い古しのものが数個出てきた。その中から3個を郵送した。これら、本当に久しぶりに手にとって見れば、今の自転車には要らなくなったものばかりである。これを読んでおられる方の中にも、写真のものが何のための部品なのか、さっぱり分からないという人も多いのではなかろうか?



 ちょっと歴史から言えば、ブレーキやティレーラーのワイヤー類、大昔は全てアウター付きのものでだった。ディレーラーで言えばチェンジレバーからディレーラーの本体まで全てアウターが付いていた。ブレーキも同様だった。フレームにはそのアウターを固定するためにバンドが使われていた。戦後の第一次、第二次サイクリングブームの頃の写真に写っている自転車は押し並べてその形をとっている。



 ただ、当時、ヨーロッパなどの一部ではそうでなかった。それこそルネルスやサンジェが活躍していた頃、すでにアウターを如何にして排除するかの試みと実践をしていた。一つには軽量化もあったし、メンテナンス性の向上、見栄えの美しさという目的もあった。ただ、これをやるためにはアウターストッパーの小物をフレームに溶接しなければならない。当時のフレームパイプの材質だと余分な熱を加えない方がよかった。その後、軍事用に使われていたハイテンション鋼などが出回り、徐々に一般にも普及していく。



 ブレーキワイヤーはともかく、ディレーラーワイヤーの取り回しはハンガー部を経由しなければならない。そのためのワイヤーリードも数種あった。フロントディレーラーだって今のリヤと同じように最後の一部分はアウターを使うようなものだった。37回の口絵写真のようにカンパだって、85回のバニーだってアウターケーブルを使って動かすものだった。ディレーラーの方はその後、進化していくが、ブレーキの方は少し遅れていた。200回のコルナゴ・スーパーの写真を見て分かると思うが、リヤアウターはバンドこそないものの。そのままリヤブレーキ本体に繋がっていく。



 今の自転車を見るにつけ、時代は徐々に変わっていったんだなぁ等と感じる。昔はアウター小物を溶接するのをベアシステムと呼んで、オーダー車などの特殊工作の一つでもあったし、それに憧れを感じていた。出てきた各種のバンド類を見てそんな事を思い出した。 



第275回へ続く...

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