ついに200回になってしまった。ともかく、これまで続けてくることができたのは、これを読んでおられる方々のおかげだと思っている。メールでお便りを下さる方々は何かしらの検索時に見つけられ、その後、読んでからお便りを下さる方々が多い。励ましや疑問、関連した情報、本当に様々な内容である。そのお便りから次回の話のヒントが得られたりする。特に一つのブログでいろんな方から同じような内容のメールを頂く事もある。皆さん同じような疑問を持っておられるのだなぁ等と感じる。よく「ネタが尽きないね」と言われるが、そうした方々のお便りがあってからこそ続いているのだと思う。 |
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さて、さて記念すべき200回だが、今回は自分でもお気に入りの1台である。とにかくこの自転車にはよく乗った。最初にオーダーしたホルクスの次くらいによく乗った。今みたいなサイクルコンピュータでも付けていれば数万キロには至っているのではないかと思う。毎日180q走っていた時もある。一日で300q近く走った日も何度かある。ペダルなどはキャップやプレートまでコーナーリングで削れている。いかに過酷な使い方をしていたかが分かる。チェンやフリーホィルなどは何度交換したか分からない。写真ではフリーはウイナープロが付いているが、元々はレジナ・オロ、でも何度交換したか覚えていない。もちろん、車輪そのものも数セット交換している。 |
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とにかく、当時の自分の体力や乗り方にピッタリ合っていたと思う。何か走る機会があれば、数台持っているロードレーサーの中から無意識に持ちだしていた。そんな一台である。自転車はコルナゴ・スーパー、コルナゴの名は今さら言う必要もないと思う。もうかれこれ20年は乗っていない。ただ、売ったり、あげたり、捨てたりすることは今後もない。手元にはずっと置いておきたい自転車である。それでも、何時でも乗れる状態にはしておきたい。シューズもシュープレートの付いたアディダズのエディメルクス・スーパー最終型を残している。 |
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現在の写真の仕様、オリジナルではない。ペダルやヘッド小物、リヤディレーラーやステム、Wレバーなどは最初からのものではない。当初からのものはブレーキ本体(QRレバーが直線、タイヤガイドのカバーなし:ナット止め)とフロントディレーラーくらいだろうか・・・実はこのコルナゴ、2台目である。今回、その変遷を述べてみたい。また、選んだのが、なぜコルナゴだったのかについても少し触れてみたい。 |
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学生の頃、数台のロードレーサーを乗り継いだ。当時、クライマーだった。とにかく登りは得意だった(今と大違いである)。長崎県で育ち、坂に強くなっていったのかもしれない。逆にスプリントは苦手だった。後輩からゴールスプリントの練習を頼まれ、やった後、「もっと本気を出して下さいよ」と言われた事もある。こっちは目一杯だったにも関わらずである。とにかく、ゴールに早く辿り着くためには登りで逃げて、ゴールスプリントに持ち込ませないようにしなければならなかった。そのため、集団から上りで逃げる。ところが数人は追いついてくる事がある。追いついてきたらその瞬間、もう一度ダッシュする。それでもまだ追ってくる選手がいれば更にもう一度といった具合の走りだった。そのため、自転車はそんな走り方をしてもたわまない、力が逃げない、力を前に進む力だけに換えてくれるようなものを求めていた。 |
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パーツもいつしか少しずつカンパニョロになっていった(国産と同じような格好をしているがクランクなどは踏み心地が硬かった)が、フレームだけは国産だった。次のフレームを頼む時は「たわまないやつ、今より登りでカケれるやつ」と言って注文していた。それでもいつも何かしら不満だった。そんなある日、先輩が持っていたチネリに乗せてもらった。踏んだ瞬間、これだ!と感じた。コツンという感触、踏み込んだ力が逃げていかない。その時に外車の魅力を知った。欲しいと思った。ところが学生の身、そんなお金などあるはずもない。 |