カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第43回

清ちゃんのつぶやき(その34)フランスメーカー



 先日、スタンドを買いに来たお客さんから、懐かしい言葉を聞いた。”モトベカン”、知っている人も少なくなった。往年のフランスメーカーである。自転車よりモペット(本当の意味での原動機付き自転車:フランスでは至る所、走っていた)の方が有名だったかもしれない。実際モト(moto)とはモーターの意味で、エンジン付きのものがメインだった。イタリアにもモトグッチがあるが、これも同様である。



 話しを元に戻すが、自転車レースの世界でも1960年から70年代にかけて同社は自転車を提供していた。他のフランスのメーカーもたくさんあった。プジョーやルジュン、ジタンにメルシェ、チームを持ったり、スポンサーをしたりと元気だった。それぞれにオリジナリティを持っていた。コレクションシリーズでメルシェを紹介したが、当時はフランスとイタリアが競いあっていた。日本のメーカーなんて、彼らはまだ驚異とも感じていなかったと思う。



 イタリア車がカンパニョロで装備するのに対し、フランスはパーツメーカーが協力しあって、それに対抗していた。変速機はサンプレックス、チェンホィルはストロングライトやTA、フリーやハブはマイヨール、ブレーキはマファックといった案配である。もちろんフレームビルダーもたくさんいた。ルネルスやサンジェは有名だが、アルミフレームを作っていたサブリエール等、その他にも数多くあった。こんな事を書くのはフォトグラファーの砂田弓弦氏の「イタリアの自転車工房物語」を手にした時からである。



 載っている工房の多くが廃業の道を歩んでいる。理由は後継者がいない、工房立地条件の規制が強化された、得意のスチールフレームが売れなくなった、自転車のマーケットの変化等、様々な理由がある。そのような意味では氏の残した様々の写真や文は貴重である。イタリアだとロードレーサーがメインである。その点、フランスだとルネルスでも分かる通り、ロードレーサーのみならず、ツーリング車も多く、バリエーションに富んでいた。今、考えるとそれらのビルダーの記録をとっておけばと後悔している。数枚の名刺を持っているが、工房の写真等は撮っていない。パリやリオン周辺だけでも結構あったはずである。



 「フランスの自転車工房物語」。こんな本があっても楽しい。フランスにはフランスでなければ出来ない自転車があった。カラーリング一つとってもイタリアとは違う色彩感覚があった。誰かそれらの記録を持っている人はいないものだろうか?今、残しておかなければならないものがあるのではないか、そんな事を考えている。

第44回へ続く...

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