前回、モトベカンのことを書いたが、オートバイと自転車、どちらも二輪車、結構つながりがある。かっては自転車とオートバイ、両方生産、または取り扱っていたメーカーもある。プジョーやドイツのプフもそうである。日本でも70年後半にはホンダがプジョーの自転車を輸入販売していたり(パッケージ方法が斬新だった)、スズキが同ブランドのジュニアスポーツを出したりした。このあたり、家のどこかにカタログ等が残っているはずで、そのうち、捜しだして公開したいと思っている。この他にもいくつかある。現代でも形は違うが、ヤマハでモーターとバッテリーを作り、ブリヂストンで車体を作り、電動自転車を生産していたりと結びつきはある。 |
|
|
部品メーカーでも自転車とオートバイ、両方の部品を作っていたメーカーがヨーロッパでは多い。フランコ・ウンチーニがスズキ初のアルミフレームで優勝した時には、カウリングにはカンパニョロやレジナのステッカーが貼ってあった。カンパはホィール、レジナはチェンを作っていた。カンパがオートバイや車のホィール(マグネシウム合金)を作っていたことを知っている人も少なくなった。レジナの名も最近、聞かなくなってきた。日本でも大同(DID)が両方のチェンを製造していた。ドカティのトラスフレームにコロンバスのデカールが貼ってあるのを見たときは嬉しかった。 |
|
|
ブリヂストンがオートバイを作っていた事を知っている人もだんだんいなくなった。名車と言われながら、経営が下手で、ホンダの傘下に入ることも拒み、倒産の憂き目にあった”ライラック”というメーカーがあった。そこの優秀な技術陣がブリヂストンのオートバイ部門に入り、ブリヂストン90スポーツ等の名車を作っていた。大型車は生産していなかったが、デザインや性能は良かった。ブリヂストンがオートバイ生産を止めた後も、この技術陣は自転車部門で活躍した。 |
|
|
ロードマンは言うに及ばす゛、全商品にその人達の造形、グラフィックセンスが生かされていた。ベルトドライブの自転車、画期的折り畳み自転車「ワンタッチピクニカ」、変わったところではジュージアローの自転車等、例をあげればきりがない。この人たちのすごいところは、定年等で職を離れても、その精神や技術が受け継がれていることである。ブリヂストンがナンバーワンになれたのは営業力や販売網もあったかもしれないが、商品力があったからだと思う。”ライラック”で培った商品力、そこで失敗した販売力を生かしての今の形がある。 |
|
|
以前、その技術陣と数々の仕事をさせてもらっていた事がある。製品の作り方、モノの考え方、デッサンやモデリングに至るまで教わった。仕事はハードだったが、非常に楽しかった。頭に浮かんだものが商品化できるのは製造業に携わったものの特権である。生みの苦しみはあるものの、製品になった時には苦しみが多い程、嬉しさがある。一見、何のことはないような製品にも技術者達の苦悩がうかがい知れる場合も多い。そろそろ各社、2008年モデルが投入されてくる。どこの技術者がどんな苦労や喜びを味わったか推測するのも今の楽しみである。 |