2台の自転車が入院してきた。少し年代は違うが、日本でのMTBブームが本格的になってきていた頃のものである。まだまだ日本のメーカーが元気で、活気があった頃のものでもある。何だか懐かしさを感じる。2台共、それぞれに今回の修理内容は違う。しかしながら、見ていて共通しているのはフロントフォークに未だサスペンションが使われていない事である。今、見ると非常に新鮮でシンプルに感じる。 |
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一台はダイヤモンドバック、80年代末のものである。当初はバイオペースギヤが付いていた。ダイヤモンドバックはアメリカ西部のメーカー、BMXで一代を成した。ダイヤモンドバックと云うのは毒蛇の名である。背中にひし形の模様がある。BMXが盛んな頃、競技でも販売台数でも強かった。今でも名前は残っているが、マングースと云う会社ができた。もちろん、それに対抗すべく創られたのである。そう、蛇に対抗できるのはマングースしかないと云う事で名付けられた。社長はクルマのレーサーでもあった。 |
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そこがMTBの台頭時にいち早く手を出した。GTなどもそうだが、BMXだけでは市場は限られる。より事業を拡大させようと思ったメーカーは挙ってMTBを販売し始めた。製造は主に日本のメーカーに依頼された。この頃の日本の生産量はすごいもので、欧米の主だったメーカーのOEMをやっていた。皆さんには馴染みのないフレームメーカーも多数あった。 |
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国内メーカーも負けてはいなかった。今回のミヤタのリッジランナーもその一つで、大きなメーカーの中でも一歩リードしていた。90年初頭である。その他のメーカーの中でもアラヤのマッドフォックスやカワムラのニシキも健闘していて売れていた。最大メーカーであるブリヂストンはどうもこの系統は弱かった。当時、パーツの売り込みや紹介、それに相談のためにいろんなメーカーに出向いていた。そこで感じたのは担当者の熱意と云うか、自転車が好きと云う情熱の度合いだった。メーカーの技術者に会うとそこの自転車が売れているのかどうかが判った。今、考えると、“若い人達がのびのびとしていて、元気な会社は売れる”と云う共通のものがあった。 |
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リッジランナーはアルミと云う素材を使い、それを独自の接着工法で製造していた。繋ぎのラグも荒々しいイメージを入れながらもスマートにデザインされている。今、見てもよくできていると感じる。そういえば、当時、ブリヂストンに行った時、担当者が「何でミヤタさんが売れてるのでしょうね?湘南の洗練されたイメージと“ださいたま(ちょうどこの言葉が流行っていた頃だった)”の違いなんですかね?」と弱音を漏らした事を思い出した。 |
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そんなMTBブームの頃だったが、当時は何でもありと云った時代だった。ロードもMTBも、BMXも、ランドナーさえも、それぞれに元気だった。海外メーカー技術者達も日本を訪れていたので勉強になったし、国内メーカー技術者にもよく接していた。一カ月に及ぶアメリカ出張などもやったりして、この頃に得たものは多かった。自分自身、ある意味、いい時代でもあったと今になって思う。その後、トレックやキャノンデ―ルが日本に直営の会社を設立した頃から、円高をはじめとして、自転車業界のみに留まらず、少しずつ時代に変化が現われてきて、現在に至るのである。今回の二台、その頃を思い出させるメイドインジャパンの頃のいい感じを醸し出している自転車であった。 |
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さあ、いよいよ次回は最終回となります。 |