その道の事は以前に誰からか聞いていた。阿蘇にラピュタと呼ばれる道がある事を。そんな折、ブルベ時に述べたHさんが、今月号のサイスポの付録の表紙にラピュタが載っていると教えてくれた。付録は「あなたが選んだベストロードを走ろう」である。確かに阿蘇の写真でラピュタと呼ばれるにふさわしい写真だった。これは行くしかないと思い、早速、休日に行ってみた。内牧の無料駐車場にクルマを停め、そこから走って行く。入口はすぐに見つかった。“上の小屋(かみのこや)”のバス停が目印である。そこが天空の城への入口である。すぐに豊後街道を横切るような形になる。 |
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しばらくは道も舗装されているが、少し勾配はきつい。森の中という感じのところを走るとすぐに道も細くなる。途中から視界も急に広がり、すぐ上には兜岩も見られる雄大な景色になる。路面も舗装されてはいるが荒くなってくる。徐々に登っていくと遠くに見える山々にガードレールがちらり、ちらりと見える。あんな所まで登らなければならないのかと思うと気持ちが萎える。 |
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長い登りを登る時のコツはあまり遠くを見過ぎないことである。せいぜい次のコーナーを見て、曲がったら、また、次のコーナーというように自分をだましながら登っていくのがコツである。それが今回は見え過ぎて、途中、本当に天空まで登らなければいけないのではないかという感じになった。入り口からミルクロードまでは6キロ弱と長くはないが、長く感じてしまった。それでも時折、振り返っての景色の素晴らしさは何とも表現しがたい。城の先端に着いた時には大きく背伸びをしてしまった。自分の走ってきた道が眼下に望める。達成感は確かに味わえる。 |
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ミルクロードに出てからは二重峠(ふたえのとうげ)方面に向かう。一度通ってみたかった道がある。参勤交代にも使われていた豊後街道の有名な石畳の道である。車両通行禁止でもあるし、石畳なので自転車で走れるわけもない。急勾配の石畳の道を自転車を押しながら下っていく。この季節は通る人もいないのか石の間には草が生えていて歩きにくい。幅は昔の道らしく広くはない。本当に苦労しながらこの道を上り下りしていたんだなぁと感じる。途中、勝海舟や坂本竜馬も見たであろう景色を見ながら、昔の旅は命がけだったことに思いを馳せる。 |
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かつて、阿蘇とその周囲を結ぶ道は40以上あったと聞く。阿蘇と周囲を結ぶには外輪山を越えなければならない。その為、東西南北、いろんなルートができた。もちろん、徒歩や馬車の時代の事である。西は大津や立野から、東は坂梨峠、蘇陽方面からは高森峠や中坂峠、清和からは清水峠と今ではいくつかのルートしか残っていない。夏のイベント、阿蘇望で使われる南阿蘇グリーンロードにも地蔵峠の名が残る。近くには徒歩でしか行けない峠も天神峠、駒返峠と残る。地蔵峠頂上にはそこで遭難した人達の鎮魂碑もある。それほどに過酷な山越えをしなければならなかったのである。 |
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クルマやバイクで走ると分からない先人たちの苦労が自転車であれば感じ取る事ができる。今回のラピュタの道、本来は馬車道だったと聞く。外輪山からたくさんの牧草を牛や馬に積んで降りてくる、当時の農業は苦しい生活だっただろうが、それを少しでも癒してくれたであろう景色が今も残っている。昔と同じ、阿蘇五岳の風景が今でも見る事ができる。朝早くから夜遅くまで何度も往復したであろうその道を走りながら、そんな事を考えた。 |