カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第196回

清ちゃんのつぶやき(その155)熊延(ゆうえん)鉄道



 先にお断りしておくが、今回は全く自転車には関係のない話である。また、熊本に住んでいない人にとっては興味のないような話である。



 実は先日から気になっていることがある。気になっていると言うか、忘れられない表情に出会った。第190回で熊延鉄道の跡地を検索したと書いた。その時に出会った人達の事である。もう、すでに廃線から46年の歳月が経っている。もちろん跡地も判明できない部分が多く、途中、いろんな人に道を尋ねながら行った。ある程度は事前に調べて行ったのだが、現地に赴くと新しい道ができていたりして分からなくなっている所も多かった。



 そんな時、農作業をしているおじいちゃんや散歩中の老夫婦、立ち話をしているおばちゃん、いろんな人に道を尋ねた。皆、親切でいろいろ教えてくれた。最初は上島駅から六嘉駅(ちなみに現在の嘉島町という名は上島と六嘉が合併し、互いの文字を組み合わせたもの)と思われる方向に向かっていた時、農作業をしているおじいちゃんがいた。駅があそこら辺りで今は道路が改修されているがここをこう通っていたとか話してくれた。線路があったと思われるその先を見ていた眼は懐かしそうだった。



 甲佐駅(熊本バス営業所横に旧甲佐駅の表示がある)付近では浅井からの跡を尋ねた。よぼよぼ歩いていたおじいちゃんが急に動きがよくなり、話を始めた。傍らにいたおばあちゃんが、「この頃、おじいちゃんは少しボケてきたけど、昔の記憶だったら私以上に正確」と笑いながら見ていた。ここで用水路を跨ぐ架橋の土台跡まで案内してもらった。そして、その反対側を見ると甲佐高校のグラウンドである。線路跡は高校敷地に一部のみ込まれていた事を知った。



 南甲佐駅付近でも道を尋ねた。川向こうにFさんという家があり、その横が駅だったとか、廃線の日には今は大阪に住んでいる子供と列車にお別れの手を振った話などを聞いた。今でこそ、砥用や甲佐から熊本市内までクルマで短時間で行けるようになったが、50年以上前までは熊本に行って帰るのでさえ一日がかりだったこと、とにかくいろいろ話してもらった。佐俣から釈迦院、砥用までは線路跡が道路になっているのでスムーズに行くことができた。



 数日経ってからでも忘れられないのがこのような人達の妙に明るい表情である。熊延鉄道という名を出すだけで懐かしそうな笑顔になる。如何に人々から愛されていた鉄道だったかが分かる。歴史家でも鉄道マニアでもない私に気軽に話してくれる。一つにはランドナーだったたからかもしれない。ロードレーサーでマイヨー姿だったら、ぎょっとして話してくれなかったかもしれない。普段着で普通と違うのはグローブくらい。そんな格好だったからお年寄りにも溶け込めたのかもしれない。そんな事を感じた。



第197回へ続く...

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