熊本もいよいよ桜のシーズンを迎えた。開花宣言はあったものの、咲いているのはまだ一部で、来週、再来週あたりにならないと本格的には咲かないだろうと思う。こんな中、先日、ツーリングのグループを見かけた。7人くらいでバックをたくさん付けている。キャンプしながらの大学生のグループだと思われる。この季節、天候不順の日が多いという欠点はあるものの、ツーリングにはいい季節かもしれない。出る時に少し肌寒いくらいがちょうどいい。 |
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考えてみれば自分自身、学生時代にはこの季節、よく長距離ツーリングをしていた。春休みは宿題もない。割と精神的には楽な気分で旅することができる。よく旅のことを書くやつだと思われるかもしれないが、実際、好きである。今でも2日の休みがあると必ずと言っていいほど自転車とは限らないが、泊まりに出かける。今まで見た事のない風景、人、モノに触れ合うことができるかもしれないと云った好奇心がそうさせているのかもしれない。考えてみれば自転車が欲しいと思ったのも、知らない所に行ってみたい、もっと遠くに行ってみたいという気持ちがあったからである。実際、自転車を得て、行動範囲が広がりいろんなものを見、経験してきた。 |
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第150回の最後で書いた北海道から九州まで自転車で日本横断された方から小冊子を頂いている。”千里の道も一踏みから”というタイトルで、出会いとときめきの旅だったと書かれている。奥さんや子供さんからのメールや電話で励まされながらの旅だったことが分かる。いろいろツーリングしていて、いつも思うのがツーリングの根底にあるのは「帰る所がある」という安堵感ではないだろうか?別に家族が待つ温かい家庭でなくとも、誰も待つ人のいない安アパートの一室でもいい。帰る場所がある、戻れる所があるという意識が旅の楽しさを支えているのだろうと思う。 |
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これは日帰りのサイクリングでも言える。今日は俵山に行こうと思う。どのルートを走って行こうかなと考える時、最後には自宅に戻るような一周ルートを頭の中で組み立てる。途中、土砂降りの雨に遭っても自宅近くになると自然にピッチがあがってくる。人間の帰巣本能というか、酔っ払いが記憶がないのに無意識の内に家にたどり着くような、そんな本能というものがある。行きは遠くに感じたのに帰りは早く感じたというのも同様だと思う。旅行から帰って「やっぱり家が一番ね」と言う妻に、「それなら出かけなければいいじゃないか」と夫が苦言する笑い話があるが、帰り着いてほっとする一瞬のために人は旅に出るのかもしれない。 |