今年も彼岸花が咲いた。祖母の命日が彼岸の入りなので、この季節になると郊外に行き、あぜ道の彼岸花を採ってくる。黄色に色付いた稲の穂と真っ赤な彼岸花、黄色と緑、赤のコントラストは自然が作り出す芸術である。それにしても本当に不思議である。どうやって季節を知るのか、ちゃんと彼岸が近づくと咲いてくれる。根元にタイマーでもセットされているのかもしれないと思う時がある。 |
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それはそうと、少し前から自転車用GPSを買おうか、買うまいか迷っている。お客さんの中には普段の走りやトレーニングに利用している人も多い。Tさんなどはコースを取り込んでブルベでうまく使っていたりする。迷っているのは自分の走りにどのくらい利用できるのかという点である。何でもそうだが目的に合っていなかったり、また、それを使いこなさなければ持っていても仕方がない。 |
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自分にとって、一番使いたいのはナビ機能、ツーリングではケイデンスや心拍計などは要らない。高度計や気温が分かるのは便利かなぁと思う程度、それより、長い、長い、それも曲がりくねった上り坂などでは、あとどのくらい上らなければいけないのだろうと思う時がある。そんな時に頂上まであと何キロくらい、傾斜はこうなると分かれば、途中の休むタイミングやペース配分も計算できてくるだろうと考える。 |
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また、一番大変なのが、地方都市の市街地を通過しなければならない時、熊本市のような旧城下町だと昔の名残があり、道が複雑になっている事も多い。現3号線でさえ直角に近いコーナーがあったりして事故もよく起こっている。旧3号線なども京町のシケインは中学の頃に旅行していた時に驚いた記憶がある。熊本に住み始めた頃もいろいろ迷った事が思い出される。そんな所で市街地を確実に早く抜け出すためには便利かなとも思う。 |
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もちろん、これからのロングツーリングにも有効なのかとも考える。一番の問題は電池だろうかとも思う。テントなど張っての屋外宿泊では充電ができない、スペアの電池は必携かもしれない。ただ、一つ、ナビに頼りきってしまうのだけは気をつけておきたい。時折、間違った情報を与えられる事もある。「ルートを外れました」と言われて、そんなバカなと思い、そのまま進むと「次の曲がり角を左です」と告げられたりする。あと、ナビに頼ると意外と通ったルートが頭に入っていないという場合もある。 |
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他に考える事は、よく走る旧街道や往還といった道は載っていない事、地形図で一点鎖線などの細い道、徒歩でしか行けないような道は表示されない場合が多い。ただ、軌跡が残るのはありがたいかとも思う。最後に、一番自分的にこだわっているのは、所謂、「地図を広げる」という行為ができない事である。画面の大きさが限られている。ある地点の東西、または南北との位置関係を見たい場合、縮小しなければならない。これが自分にとっては何か引っかかる。縮小はしたくないと思うのである。 |
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小学校低学年の頃から地図を読むというのは親から訓練されていたし好きだった。そんな事から国土地理院の地形図も中学生の頃から愛用するようになっていた。今でもフロントバッグの中には必ず磁石を入れている。山の中で迷った時は、地図の上に磁石を置き確認してから進む(ちなみにケータイのナビは山深い所では時々変な表示をする時がある)。それにある地点まで来て、地図を広げる、辿ってきたルートとこれから先のルートを確認する、妙な充実感がある。これは捨てがたい。いろいろな事を考えていくと、今すぐにはGPSは要らないかな?とも思う。時間もあるし、もうしばらく考えてみよう。 |