カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第286回

清ちゃんのつぶやき(その232)パッケージ



 前回、リオタードのペダルの事を書いた。写真を見ても分かる通り、パッケージもちゃんと残している。実際、ペダルはしばらく使っていた品物である。普通ならペダルを使い始めた時点で箱は捨てる。よく箱まで残しているねと感心する人もいたが、もちろん、全部残しているわけではない。気に入ったもの、捨てるには惜しい箱などは手元に残している。



 今回のペダルの箱を見て、そう言えば、昔のパッケージってよくイラストが描いてあったよなぁと思いだす。第160回の口絵写真のアトムのフリーホィルだって、同9回のカンパのチェンホィルだってイラストが描いてあった。日本でも極東のプロエースやスギノでもイラストが描いてあった。確かに今見るとレトロな感じは受けるが、外観だけ見ても中身がはっきり分かるというのはある意味ありがたい。



 今のものは透明プラスチックのものなどで中身が分かるようにできているが、廃棄物問題で使われる事が少なくなってきたし、分解できるものになってきた。バブル以前では豪華なパッケージも少なからずあった。自転車屋さんの横に捨てられた、そんなパッケージがたくさんあった。ある意味、時代を映しているとも言える。パッケージデザインをやる人も、今は捨てる事を前提に紙やプラスチックと分解しやすいような事を考慮しなければならなくなった。



 パッケージも作る側にとっては本当に難しい。当然のことながらコストの問題がある。外モノにいくらお金をかけるのか、販売コストに上乗せするにも限度がある。それにもう一つの問題が壊れにくい事である。パッケージというのは中に入っている製品を痛めないようにと云うのが本来の目的である。Cレコードが出た頃のカンパのパッケージは紙質も薄く、すぐにへなへなになっていた。何箱か重ねておこうものなら下の箱が潰れていく。特にブレーキセットなど中の空間が大きいと潰れやすい。コレクションで持っておくにも気を使う。



 今の店の展示もそうだが、以前の会社でも作る側として経験したが、パッケージは重要である。入れる中身の製品は同じなのにパッケージを変更した途端、売れ行きが伸びると云う現象も経験した。逆にそんな大した事もない製品でもパッケージがよければ売れるという事もある。そういった意味では先ずは外観のグラフィックデザインだろうと思う。店頭に並べて他社と比較されても遜色ないパッケージが要求される。



 逆に買う側にとっては自分を含めてだが、外観に惑わされることなく製品を見抜く目を持っておきたいものである。自転車や部品に限った事でなく、世のあらゆる現象やモノから本物を見抜く目を養う事も大切ではなかろうかと思う。



第287回へ続く...

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