カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第222回

清ちゃんのつぶやき(その175)年賀状



 10日を過ぎてからも年賀状が届く。それにしても新年にはいろんな方からメールやら年賀状を頂いた。今年は関東の一部を除き、荒れ模様の天気の所が多かった。山陰では雪のためクルマや列車が立ち往生し車内で越年した人も出たというニュースが流れた。他人事だと思っていたら知人がその中にいた。年が明けて1週間過ぎてから返事の年賀状が届き、その事を知った。今回閉じ込められた人達にとっては災難だっただろう。



 クルマに閉じ込められたのなら旅情も何もあったものではないが、列車内というのはそれなりに旅情もある。皆、沈黙して静まりかえった車内でいつ動き始めるか分からない時間を過ごす。うたた寝くらいしかする事がないのだが、夜が明け始める頃、外を見ると家々にあかりが少しずつ灯り始める。見知らぬ土地でもいろんな人の生活があるんだなぁ等と感傷的な気分になったりする。車内でも二言、三言、客同士の会話が始めったりする。



 ずいぶんと列車にも乗っていないが、昔はどこかに行くにも、よく夜行列車を利用していた。傍らには輪行袋、寝台車の時もあれば普通各駅停車の時もあった。台風や災害で列車が立往生した事も何度かある。一人旅だと平気だが、家族連れを見ていると大変だなぁと感じる事もあった。特に子供が乳幼児だとお母さんの心労も察するに余りある。そんな状況を見て周りの客が手助けしたりする姿など微笑ましい光景も見た。一つの家族のために居合わせた乗客が次々に声をかける。



 これは日本だけに留まらない。昔、欧州に国内線で雪のため近くの地方空港に緊急着陸したことがある。バスが迎えに来るというアナウンスがあったが、すぐに来るはずもない。その内に赤ん坊と子供がぐずり始めた。プロペラ機で乗客20名くらいである。年代や人種を越えていろんな人が話しかけたり、あやしたりし始めた。バスが到着した時には乗客全員、一つの家族みたいになっていた。一つの苦境の中で皆で子供や老人、女性といった人達を守るといった映画みたいな物語が自然に生まれる。そういった意味では災害というのも人間同士の絆を深めるいい機会かもしれない。



 それにしても“夜汽車”という言葉さえ耳にしなくなった。ふと眼がさめて外を見る夜明けあたりの雰囲気が好きだった。家並みが白み始めた朝の景色の中から現われてくる。遠くに来たんだなぁと実感できた事を粉雪舞う冬空の下、年賀状を見ながら想い出した。



 年賀状やメールでもいろんな人達が自転車の事について書いていた。昨年は1000キロも乗っていないとか、信州の峠をいくつか制覇したとか、写真では脚力に対し不相応な自転車に乗っている人もいるかと思えば超高額ロードに乗っている雄姿とかもある。自転車関係ではないが、中国に単身赴任中で、残された奥さんから「母子家庭です」の返信をもらったり、輪界を離れて別の職業で頑張っている人、本当に様々である。



 そうそう、今年の年賀状の傑作は静岡県に住むSさんで、サイクリング途中、休憩してパンを食べていたらトンビにパンをさらわれたというものだった。私も休憩中、横に食べかけの弁当を置いた途端、背後から来た犬に食べられた事があったが、上空から襲われると、それとは比較にならないくらい怖かっただろうと思う。



第223回へ続く...

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