次の日、会社から戻り、改めて自転車を見る。レイノルズ753のデカールはシートチューブとフロントフォークに貼ってある。クラウンはM型ではなく、チネリ型のなで肩である。エンドはビチュー、日本ではあまり見られない形である。トップの歯との逃げを大きくとってある。ラグには金色の線がひいてある。これこそ、フランス車である。クラウンとシートにも刻印があるが、ここにも金色で描き入れてある。その他、ブリッジの補強部にも縁取りしてある。 |
|
|
サイズとしては少しばかり大きい。490ミリくらいがよかったのだが、そのサイズがなく、実質505ミリくらいである。トップチューブで10ミリくらい長かった。ステムを短くすればいいのだが、ここがフランスサイズ。チネリのフランス規格が入手できない。仕方なく、グラインダーで削った。 |
|
|
クランクは167・5ミリを注文していたが、170ミリがついていた。ペダルねじがBCだったので、知人にクランクだけ売って、167・5に交換した。リヤディレーラーは新型スーパーレコードだが、ボルトはアルミ。フランスでもチタンボルトは入手が難しかったのだろう。 |
|
|
その後、しばらく乗り込んで、Tサイクルの富士スバルライン、タイムトライアルでデビューさせた。永遠のライバル”しげちゃん”を打ち負かしたのは言うまでもない(笑)。 |
|
|
後日談だが、この自転車、サイクルスポーツ誌の折込ピンナップを飾った。当時、同誌では毎月、世界の(欧州車が多かったが)自転車が二つ折りでポスターにして綴じてあった。それに使われたのである。その雑誌をメルシェに礼状を添えて送っておいた。そうしたらまた、返事が来た。今度は向こうが感激していた。商売になると思ったのか、日本で代理店をやってくれる所を知らないか?等とも書いてあった。いろいろ考えた結果、今はR社で社長をされているT氏がおられたC貿易にその手紙を持って行った事がある。後は当事者同士のやりとりである。その後、メルシェが日本に入ってくることがなかった事を考えると折り合いがつかなかったのであろう。 |
|
|
その後、メルシェは他のフランスメーカーと同様に衰退していく。ただ、熊本に越して来る前、フランスのリオンのホテルで、メルシェはまだあると聞いた。なくなったと思っていただけに驚きだった。翌日、サンテチェンヌ(日本の堺みたいな所)郊外に行き、捜しだした。日曜で門は閉まっていたが、停めてあるトラックや建物にはメルシェの文字があった。妙に懐かしさをおぼえた。 |
|
|
それにしても、今、考えると隔世の感がある。メールやインターネットで世界中のメーカーや小売店とすぐに連絡や振込ができる。品物にしても到着が早い。それでも、この時の経験は、輸出入の仕組みが理解できたし、個人でも輸入ができるんだと自信になった。その後、日本に輸入されていない部品や用品をいくつか入手した。一昔前の話である。 |