さて今回は前回の続きである。宮崎県のえびの市に下ってからの話である。もちろん同じルートを引き返すといったバカなことはしたくない。帰りはループ橋ができる前に通った加久藤峠越えである。普通なら国道221号線で人吉に向かうが、えびの側の交差点のすぐ傍から入る昔の道がある。それが旧国道である。そこを登っていくとすぐに現国道を横切る形になる。国道の東側になるが、その道を延々と走る道が加久藤峠への道である。最近になって知ったのだが、加久藤峠という名はない。堀切峠と呼ぶのだそうだ。昔から周りの人達も加久藤峠と呼ぶものだから、その名称だと思い込んでいた。ここも肥後と薩摩を結ぶ重要なルートだった。実際、さらなる旧道があるようだが、吉田温泉に泊まった西郷隆盛がその道を通って肥後に入っている。 |
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第138回でも書いたように221号線は私のお気に入りのルートの一つである。中学か高校の頃に自転車で苦労しながら登った記憶がる。これまでもいろんな所を走ってきたが、未だに覚えているというのは、当時、それなりの強烈な印象を持ったからに違いない。今も国道をクルマで走る度、旧道がちらりちらりと目に入っていて気にはなっていた。 |
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昔の道はいい。先ず、歩いて登ることを考えているから勾配が緩やかに、一定になるように作られている。えびの側から登っていくと舗装はされているものの、少しずつ幅がせまくなっていく。途中まではまだ使われているせいか走りやすい。ところが、その内に路面が変わってくる。雨もまた降りだしてきた。 |
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木の切り出しをやっているのか、路面が荒れ、キャタピラの跡が残るような道になってくる。非常に走りにくくなってくる。左下あたりから現国道を走るトラックの喘ぐ音が聞こえてくる。そんな道を抜けると、今度は一面葉っぱで覆われた道に変わってくる。通るクルマの数もほとんどないのだろうと思う。これがくせもので葉っぱの下に石があるとタイヤが滑る。轍の跡も妙にハンドルをとられて走りにくくなる。ただ、雨は降っていても、道の両側から木が覆っていて屋根みたいになっていて直接降り込んで来ないので助かる。その分、光を遮り暗い。夏だったら涼しいかもしれない。 |
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その内に路面も細かい石に変わってきた。少し手前から気になっているのが落石である。小さなこぶし大のものから人の頭程度のもの、更に人の手では動かせない程のものまである。この雨で落ちてこなければいいなと思う。路肩は路面がえぐられている所もあるし、崖側は落石の危険性もある。勾配は緩く、ローギヤにして時速7キロくらいで進んで行ける。 |
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徐々に稜線が近くなり切り通しが見えるとそこが峠の頂上である。少し広くなっていて何もない。あっけなく通り過ぎる。熊本県側になると路面が急に荒くなる。途中、県境を示す朽ち果てた標識があり、ここが旧道だった事が判る。よく見るとえびの市の市という文字が後から直したものである。調べてみれば市制になったのは昭和45年(1970年)、その頃までは使われていたようである。道も今は林道になり、その役目を果たさない、錆びて曲がったガードレールがあちこちにある。最後は「隠れ里の湯」に至る舗装路に出てループ橋に繋がる。後は人吉まで快適な下りである。幸いクルマも少なく路面も乾いてあっけなく到着してしまった。市内は降った様子がなかった。雨が降っていたのは山の方だけだったのだ。 |
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帰り、何でループ橋に合流?と考えてしまった。人吉側から旧221号線にループ橋を通らずに行ける道があったはずだと思い、家で更に調べてみた。途中までは現国道に沿っての道の痕跡が残る(パーキングエリアみたいになっている部分がそうである)。現国道の西側に残る道が途中から消えている。多分、すでに廃道になっているのだろうと思う。それにしても、ループ橋が完成したのは昭和54年だと思っていたら、昭和52年に人吉側が出来、同54年にえびの側が出来、2年かけて今のように繋がった事を知った。加久籐トンネルは昭和47年に開通。という事はその間、どんなルートだったのだろう?いろいろ考えていけば謎が残る。少なくとも今回のルートは昭和54年までは何らかの形で使われていた事だけは確かである。 |